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淀五郎

Author:淀五郎
 
“淀五郎”は古典落語の演目。
相中にすぎなかった歌舞伎役者の澤村淀五郎は『仮名手本忠臣蔵』の判官役に抜擢されたが、四段目の切腹の場で、座頭で由良之助役の市川團蔵から連日のダメ出し。思いつめていたところ中村仲蔵に「いい所を見せようとする気持ちが強すぎる」とアドバイスを受けて、開眼。二階級特進の名題に抜擢される。六代目三遊亭圓生の十八番だった。

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嵯峨野めぐり(その4)
本シリーズの最終回。
「平家物語」や源平との直接の関連性が薄いので、写真を中心に。

二尊院は百人一首で名高い小倉山の東麓にある。

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 二尊院総門:この総門は角倉了以が伏見城の「薬医門」を慶長18年(1613)に移築したもの。

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 二尊院唐門

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 西行法師庵の跡

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 本堂

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 藤原定家時雨亭跡:定家が百人一首を選定した場所

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 二尊院境内から京都市街を望む

二尊院をあとにして落柿舎へ。
その途中に西行井戸。
落柿舎の北側、弘源寺(天龍寺塔頭)境外墓地の東側にあり、西行法師がこの辺りに庵を設けたときに使っていた井戸という。
世阿弥の最高傑作のひとつといわれる「西行桜」の舞台はこのあたりとか。

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 西行井戸

落柿舎の主人は芭蕉の高弟・向井去来。
芭蕉は落柿舎を3度訪れ、そのうちの「奥の細道」の旅後に20日ほど滞在した時に「嵯峨日記」を書いた。
芭蕉にとって嵯峨は尊敬してやまない西行隠棲の地であり、大好きな「平家物語」の小督の地でもあった。
芭蕉は滞在中に小督の跡を訪ね歩いたそうだ。

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 落柿舎の門

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 落柿舎

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 柿の木と歌碑

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 常寂光寺の仁王門

常寂光寺には、高倉院から小督の局が賜ったという車琴が伝わっているという。

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 常寂光寺の本堂

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 多宝塔

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 常寂光寺の境内からの展望

今回の史跡巡りの最後は竹林。
夕方にもかかわらず外国からの観光客が多く、今回巡った場所では一番賑やかだった。

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 嵯峨野の竹林

コースは結構アップダウンがあり、ママチャリでのサイクリンは汗をかきながらで、かなり疲労感を憶えた。

(2013年10月18日、参考文献:歩いて楽しむ「平家物語」いのぐち泰子)

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嵯峨野めぐり(その3)
滝口寺の隣の祇王寺へ。
こちらは女性の観光客が数組訪れていたが、見学に支障が出るような混みようではなかった。

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 祇王寺の門

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 祇王寺本堂

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 祇王寺本堂

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 苔の庭

祇王寺は竹林と楓に囲まれた草庵で、「平家物語」にも登場し、清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりで都を追われるように去り、母刀自、妹祇女、とともに出家、入寺した尼寺として知られている。
庵室には清盛と、祇王、祇女、刀自、仏御前の4人の尼僧像が安置されている。
祇王や仏御前は「平家物語」巻1祇王に登場する。

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 清盛の供養塔と祇王・祇女・刀自の墓

(2013年10月18日)

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嵯峨野めぐり(その2)
昼過ぎに仕事が終わったので、午後は宿のレンタサイクルでめぐることにした。
まずは清涼寺からスタート。

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 清涼寺(釈迦堂)

清涼寺はもとは嵯峨天皇皇子源融(光源氏のモデル)の山荘、棲霞観で、融の死後、棲霞寺(現阿弥陀堂)となり、その後、本尊の釈迦如来像を安置する堂(釈迦堂)が建立された。
この釈迦像は釈迦37歳の姿を写した等身大で信仰を集めた。
清凉寺は「釈迦堂」の名で親しまれて平安時代後期においても参詣者も多かった。
小督を探しに嵯峨野に向かった仲国もまず釈迦堂を訪ねたのだった。

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 源融の墓

続いては滝口寺。
修学旅行の女子高生数人がいただけでひっそりとしていて、静かにまわることができた。

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 滝口寺本堂

滝口寺は滝口入道と横笛ゆかりの寺で、往生院の一坊である三宝院跡。
「平家物語」維盛高野の巻でこの二人の悲哀の物語が挿入されている。

滝口入道は斎藤時頼といい、天皇の御寝所脇の滝口の陣で警護役の侍であった。
清盛の西八条殿での花見の宴で建礼門院つきの女官の横笛の舞姿を見て、恋しく思うようになり恋文を送るようになった。
時頼の父は、「お前は名門の出にして、将来は平家一門にに入る身上ながら横笛のようなものに思いそめるか」と厳しく叱ったため、時頼は主君(小松内大臣重盛)の信頼に背いて恋に迷った己を責め、「これこそ仏道に入らしむる尊い手引き」として嵯峨の往生院で出家してしまう。
横笛はこれを聞いて、あちこちを訪ね歩いてようやく往生院にたどり着くが、時頼は横笛には会わずに同宿の僧を遣わして「そのようなものはおりません。お門違いではないでしょうかと言わせた。(滝口寺パンフレットより)


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 滝口入道と横笛の木造:鎌倉後期の作で眼が水晶(玉眼)、往生院異物の一つ

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 横笛歌石:横笛が指を切って血で歌をかいて帰ったとされる石

横笛は泣く泣く近くにあった石に「山深み思い入りぬる柴の戸にまことの道に我を導け」と歌を書いて帰っていった。時頼は修行の妨げになると思い、高野山にのぼってしまった。
横笛もその後法華寺で尼になったと聞いた滝口入道(時頼)は、一首の歌を横笛に送った。
そるまでは恨みしかども梓弓 まことの道に入るぞ嬉しき
横笛返して
そるとても何か恨みむ梓弓 引きとどむべき心ならねば
横笛はまもなく法華寺で死んだが、滝口入道はこのことを聞いてますます修行に努め、高野の聖といわれる高僧になったという。(滝口寺パンフレットより)


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 平家供養塔

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 新田義貞の首塚

尊氏に敗れて三条河原で晒し首になっていたものを、妻の勾当内侍が盗み出して、この場所に葬ったと伝えられている。

(2013年10月18日)

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嵯峨野めぐり(その1)
先日、出張で京都に行ったので嵯峨野の「平家物語」の舞台を訪ねた。

まずは早朝に桂川の岸辺を散策した。
天気は曇り、9月の台風による洪水の被害も一部に見られた。

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 小督塚

小督局は桜町中納言藤原成載の女(むすめ)で、宮中で美人の誉れ高く、高倉天皇の寵愛を一身に集めていた。しかし、平清盛の女、徳子(建礼門院)が中宮であったため、平家の圧迫をおそれて、嵯峨野に身を隠した。その時の仮住居が、この「小督塚」辺りであったといわれている。(小督塚の説明板より)


小督の跡を探した芭蕉は、「墓は三間屋の隣、藪の中にあり、しるしに桜を植えたり」と記している(『嵯峨日記』)。ここの地名は今も三軒屋とのこと。
   
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 渡月橋

渡月橋は昔は現在よりも100mほど上流で、ちょうど小督塚あたりにあった。
往時の渡月橋は法輪寺橋ともよばれ、小督を探しあぐねた高倉天皇につかえていた源仲国が、「もしや法輪寺に」と思った法輪寺の堂塔が対岸の嵐山山中に見える。

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 琴きき橋跡

渡月橋の北詰、東岸の松林に「琴きき橋跡」の碑がある。
芭蕉も、「かの仲国が駒をとめたる処とて、駒留め橋と云う」と記している(『嵯峨日記』)。

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 亀山公園展望台から望む小倉山と嵐山

渡月橋辺りから見た形が亀に似ていることから亀山と呼ばれ、仲国が小督の屋敷を訪ね当てた「亀山あたり・・・」の亀山。
かなりの距離を歩いたが、登って良かったと思える展望だった。

(2013年10月18日、参考文献:歩いて楽しむ「平家物語」いのぐち泰子)

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大山祇神社~今治市大三島
生口島からさらに足を伸ばして大三島の大山祇神社を訪れた。

境内には天然記念物の大楠があった。大きくて大変立派な姿である。

紫陽殿や国宝館には鎧、兜、刀剣類などが展示してあった。
源頼朝や義経が奉納したという国宝の鎧が美しかった。

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 神門から拝殿を望む。

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 拝殿。夕方で参拝者は数えるほどで、境内は静寂に包まれていた。

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 乎知命御手植の楠。御島(大三島)に祖神大山積大神を祭った乎知命の御手植楠(樹齢2600年)と伝えられ古来御神木として崇められている。

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 天然記念物・能因法師雨乞の楠。日本最古の楠(樹齢3000年)後冷泉天皇の御代(900年前)伊予国藤原範国は能因法師を使者として祈雨のため参拝させた。その時、「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば神」と詠じ幣帛に書付け祈請したところ伊予国中に三日三夜雨が降った(金葉和歌集)と伝えられている。

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 河野通有兜掛の楠。弘安4年蒙古襲来にあたり通有は当社に参籠祈願し、三島水軍を率いて筑前に進発し、当社の神使白鷺の導により勝利を得た。その出陣の際に兜を掛けたと伝わる。
 (2012年3月19日訪ねる)

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